Share

第五話

last update Last Updated: 2025-03-07 11:40:57

「長谷川さん、食事でもどう?」

日葵は、声をかけてきてくれた男性に、申し訳なさそうに頭を下げた。

「ありがとうございます。でも……すみません」

決まり文句のようになってしまっている自分自身を嫌悪しつつ、日葵は頭を下げる。

「そうか……彼がやっぱりいるの?」

諦めきれない様子のその人に、日葵は肯定とも否定とも取れないように曖昧に頷き、もう一度小さく頭を下げた。


「日葵、また?」

化粧室から出ると、急に声をかけられた日葵は、後から出てきた同僚の佐奈に気まずそうな表情を浮かべた。

「だって……」

「とりあえず食事ぐらいいいじゃない? 今の人、営業部でも人気のある人よ?」

すでにその人の後ろ姿は見えなくなっていたが、佐奈はその方向を見ながら日葵に言った。

「日葵はさ、そんなにきれいなんだから。恋愛の一つもしないともったいないわよ」

肩をすくめながら言う佐奈の言葉に、日葵は自嘲気味な笑顔を浮かべた。

「きれいになった……か」

綺麗になった原因が、壮一だということは日葵としては認めたくなかった。
だが、壮一が何も言わずにアメリカへ行ってしまった後、日葵は自分でも驚くほど落ち込んだ。

そのおかげというわけではないが、思春期に少しぽっちゃりしていた日葵は、体重が落ちた。
そして、壮一がいなくなった喪失感を、勉強やダンスで埋めることで、結果として今となっては自分磨きができたように思う。

今ではあの頃とは違い、きちんとメイクをし、髪も伸ばしている。
もちろんヒールの靴だって履くようになった。


「それはそうと、プロジェクトの進行はどう?」

佐奈の言葉に、日葵は真剣な表情に戻すと、佐奈を見た。

「ある程度のところまでは来てるかな。開発自体は順調だし、シナリオライターさんも優秀な人だし、チーフとして音楽担当の人も、もうすぐ新しく入ってくるって聞いてるしね」

日葵は、それらの進行の管理や外注スタッフとの調整など、プロジェクトの雑務を一手に引き受けていた。

もともと副社長の娘であることは一切伏せて入社しているし、誠も娘だからといってひいきをするような父親ではない。
当初は営業部に所属していたが、どうしても新しく立ち上げられるアプリゲームに携わりたくて異動願を出し、ようやくそれが叶ったのが3カ月前だ。

大企業が新たに参入するということで注目度も高く、まずは大手ゲーム機向けソフトの販売から始まり、その後ネットやスマホ向けの展開も予定されていた。

動き出したこのプロジェクトには、社運をかけるほどの投資がなされている。
日葵としても、何としても成功させたかった。


そして、普通のフロアとは異なり、個々で仕事をすることの多いこの部署では、各自のブースが仕切られている。
その奥にはミーティングルームはもちろん、仮眠室やシャワーブースまで完備されていた。

フロア入り口の自動ドアを抜け、その中でも個室になっている一室へ、日葵は足を踏み入れた。

新しく入ってくるのは、チーフであり、事実上の現場責任者だ。

もちろん、もっと上の人間も関わっているが、現場で作業を進める上では、技術者が必須となる。

(うん、大丈夫ね)

数十人のスタッフがいるこの部署で、円滑にみんなのサポートをするのが日葵の役割だ。

海外とのやり取りも多く、言語力を活かせることも嬉しかった。
こういったところは、母の影響もあるのかもしれない――そんなことを思いながら、準備を終えると、日葵は村瀬に声をかけた。

「村瀬さん、準備はOKですよ」

「ああ、ありがとう。もうすぐ来ると思うから」

くるりと椅子を回転させ、パソコンから視線を外すと、眼鏡の奥の人懐っこい笑顔が微笑んだ。

「はい。それはそうと、名刺を作りたいので、名前を……」

そこまで言った瞬間。

なぜか――昔、感じたことのあるざわめきが、ふっと耳に届いた。

日葵はビクッと身体をこわばらせた。


「元春」

開いていた自動ドアが閉まると同時に、そのざわめきは消えた。

そして――

聞き覚えのある、低くて甘い声が耳に届く。

日葵は、背筋が冷たくなるのを感じた。

「壮一。待ってたよ」

村瀬が立ち上がるのと同時に――日葵の視界が、真っ白になった。

次に目を開けると、真っ白な天井が日葵の視界に映った。

「目が覚めた?」

そこが医務室だと気づいた瞬間、産業医の鞠子の声が聞こえた。

日葵は小さく頷いた。


鞠子こと斎藤鞠子は、日葵の中高の先輩だ。

親は大病院の院長というお嬢様だが、気取ったところもなく、五つ年下の日葵の面倒をよく見てくれた。

「さっきまで……」

その後に言葉は続かなかったが、鞠子の言い方から、日葵はさっきの声が誰のものだったのかをはっきりと認識した。


「ショックで貧血起こすとか……どれだけの衝撃だったのよ」

小さく呟くように言った鞠子の言葉に、日葵自身も驚いていた。

もしもまた壮一に会うときは、絶対に弱みも隙も見せたくない。

そう思っていたのに――

声を聞いただけで、この無様な有様。

もはや笑うしかなかった。


「どうする? もう今日は帰ったら?」

鞠子の言葉に、日葵は考えるように言葉を止めた。

壮一が新しく来たサウンドクリエイターだとするならば、いつまでも逃げ続けることはできない。

そして、壮一が来たからといって、

「じゃあもう辞めます」

――そんなことが言えるわけもないし、言うつもりもなかった。

(あの人は新しい上司……)


「戻ります」

自分に言い聞かせるように言うと、日葵はゆっくりと体を起こし、鞠子から手渡されたミネラルウォーターを一口飲んだ。


「ねえ? ……日葵の壮一さんに対する気持ちって、何?」

少し言葉を選びながらも、確信を突くような鞠子の問いに、日葵の動きが止まる。


あのとき――

前日まで姿を見ていた壮一は、あっさりといなくなった。

何一つ言わずに。


そう、あのときの感情は……。

幼いながらに、ずっと自分のそばにいた壮一のことを、日葵は信頼していたし、ずっとそばにいることを疑っていなかった。信じていた。

今となっては思い出したくもない。

だが――

淡い恋心さえ、確かにあったと思う。


でも――

(壮一は私を捨てた。)

日葵は、そう解釈するしかなかった。

そうでなければ――

何か一言、「さよなら」でも、「またね」でも、あったはずだと思う。

どうしてあのとき、壮一は何一つ言わずに消えたのか――

日葵にはわからなかったし、もう今となっては、知りたいとも思わなかった。

むしろ、許すことなどできる気がしなかった。


「もう、何の関係もない人です」

日葵は抑揚なく言葉を発すると、ベッドから降りた。

「日葵……大丈夫?」

気遣うような鞠子の言葉と同時に――

医務室のドアが開いた。

Continue to read this book for free
Scan code to download App

Latest chapter

  • I Still Love You ーまだ愛してるー   第四十六話

    「日葵、おい、日葵」 少し身体を揺すられ、重たい身体を感じながら目を開けると、目の前に壮一の顔があり、日葵は思わず驚いて目を見開いた。「何、そんなに驚いてるんだよ」 くすりと笑った壮一に、日葵は昨夜のことを思い出して顔が熱くなる。「お前、思い出してるな?」 何もかもお見通しのように言われ、日葵はムッとして睨みつけるように壮一を見返す。「そんな顔も俺には煽りでしかない。可愛い」 その言葉と同時に、シーツの中で壮一の手が不埒な動きを始め、日葵はビクリと身体を震わせる。「って、違う違う!」 自分を律するように言いながら起き上がった壮一の動きで、日葵の裸の身体が露わになり、慌ててシーツを引き寄せた。「ああ、もっと日葵とベッドにいたいけど……年が明けるな」 「えっ!」 その一言で、今日は大晦日だったことを思い出す。さすがにこのままの姿で年を越すのは……と、日葵も急いで身体を起こす。ベッドの下に落ちた下着に手を伸ばしたそのとき、背後から壮一が覆いかぶさってきた。「やっぱり、年越しはやめて、ベッドで過ごそう?」 甘く艶っぽい声に、日葵も一瞬だけ心が揺れるが、グイッと壮一を押し返して真剣に見つめる。「来年は、ずっと一緒にいられるんでしょ?」 自分でも恥ずかしいセリフに思いながらも、しっかりと伝えると、また壮一のため息が聞こえる。「お前って、ほんと昔から変わらないな。俺を振り回す天才……」 そう言いながらキスを落とされ、唇が離れる頃には、日葵の呼吸はすっかり乱れていた。そんな日葵を満足そうに見つめると、壮一は「この続きは、また来年」と言って、ベッドから立ち上がった。「そうちゃん! 服、着てよ!」 「年を越す前に、シャワー浴びてくるよ」 その言葉に、日葵も急いで服を引っかけると、壮一に言葉をかけた。「私も、いったん部屋に戻ってシャワー浴びてくる」 「一緒に入る?」 悪びれもなく返ってくる言葉に、日葵はぶんぶんと首を振って否定する。さすがにそれは、まだハードルが高い。「私の部屋の方が色々あるから、後で来てくれる?」 年越しそばのことや、母が持たせてくれた料理のことを思い出しながらそう言うと、浴室から「わかった」と返事が返ってきた。部屋に戻った日葵は、大きく息を吐く。 さっきまでの甘い余韻が身体に残っていて、ようやく壮一とひとつに

  • I Still Love You ーまだ愛してるー   第四十五話

    「日葵だけが俺には特別だ。愛してるよ」その言葉にとうとう日葵の瞳から涙が零れ落ちる。この言葉がどれほど自分が嬉しいか言われてわかった。「私もそうちゃんだけだよ」泣き笑いで言うと日葵はそっと壮一の頬に触れた。その手を壮一が自分の手で握りしめる。「日葵のこと、大切にしたい。今の余裕のない俺じゃないときにしないとな」そう言うと、壮一は日葵の上から降りようとするのがわかった。「ダメ!」つい無意識に言葉が零れ落ちていて、日葵は自分に驚いて手で口を覆う。「日葵……?」(でも、でも、ここで勇気を出さなければ、また次の機会ははずかしくなっちゃう)日葵はそう思うと、壮一にゆっくりと語り掛ける。「そうちゃんのものになりたい……」自分の顔が真っ赤なのも、心臓の音がうるさいのもわかっていたが、これだけはきちんと伝えたかった。壮一が自分のことを考えてくれているのが分かったからこそ、もうこれ以上遠回りをしたくなかった。驚いたような表情の壮一の瞳がそっと閉じられたと思えば、次に見たその瞳は妖艶で熱を孕んだ初めて見るものだった。しばらく動きが止まっていた壮一だったが、何か覚悟を決めたような表情で日葵を見た後、無言で子供の頃のように日葵を抱き上げる、そのことに驚いて日葵は声を上げた。「ちょ……そうちゃん!」急にどうしたかと思えば、そのまま壮一の寝室へと向かうのがわかった。自ら誘う形になってしまった日葵だったが、ドキドキしてどうしていいのかわからない。そっと優しく真っ白なシーツに降ろされたときに、今から自分に起こることが知識として頭をグルグル回る。そんな日葵の瞳に、真面目な表情の壮一が映る。「日葵……俺が初めて?」その問いに、少し悔しくなりつつ日葵はうなずく。きっと勝ち誇った顔をしているのかと、日葵はチラリと壮一を見れば、そこには日葵の思う壮一ではなかった。「よかった……。間に合った……」心から安堵しているような壮一に、日葵は柔らかく微笑むと言葉を重ねる。「キスも全部そうちゃんしか知らないんだから責任取ってよね」その言葉にきょとんとした後、壮一は日葵の大好きな笑顔を見せた。「当たり前だ。日葵は何も考えなくていい。ただ俺を見てろ」言葉はそんな命令口調だが、日葵に触れる手はこれでもかというぐらい優しい。そのことが日葵は嬉しくて、キュッと心が締め付けられ

  • I Still Love You ーまだ愛してるー   第四十四話

    遠くない二人のマンションに着くと、壮一は無言のまま日葵の手を引いて自分の部屋の鍵を開けた。こんなに近くにいたのに、壮一の部屋に入るのは初めて。日葵は思わず緊張し、胸が高鳴る。「入って。特に何もないけど」「おじゃまします……」日葵の部屋には何度か壮一が来たことがある。でも、自分が彼の部屋に入るのは、それだけで特別なことのように感じてしまう。間取りはまったく同じなのに、部屋の雰囲気はまるで違っていた。整然としていて、ものが少なく、生活感がほとんどない。「何もないだろ? 寝るだけの部屋だから」ソファー、テーブル、テレビ……最低限の家具があるだけの空間に、日葵はなぜか落ち着かない気持ちになる。同じ空間にいながら、これまでとはまったく違う意味で“二人きり”でいることに、息が詰まりそうだった。「そうちゃん、忙しかったもんね」少しでも平静を保ちたくて明るく声を出し、部屋の中をぐるりと見渡していた日葵は、ふとソファに座る壮一の視線に気づく。「日葵」やさしく甘やかなその声に、思わずビクッと肩が跳ねた。ただ見つめられているだけなのに、何も言われていないのに、なぜか足が勝手に動く。ゆっくりと、日葵は壮一の座るソファへと歩を進める。すぐ目の前まで来たとき、壮一が何も言わずに手を広げた。(来いって、こと……?)ごくりと唾を飲み込んだ日葵は、悔し紛れのように言う。「そうちゃんってやっぱりイジワル」でも、そのとき向けられた壮一の笑顔が、あまりにも優しくて、懐かしくて――日葵は胸がいっぱいになる。「だって俺、ずっと我慢してたんだよ? 日葵に触れるのを。 でも今、急に変わった関係に戸惑ってるだろ?」図星を突かれ、日葵は言葉に詰まる。でも――「それ、違うよ」「え?」そのまま、日葵は勢いよく壮一の腕に飛び込んだ。予想外の行動に、壮一の腕は宙に浮いたまま動かない。「急に変わった関係に戸惑ってるんじゃない。 もっとそうちゃんに近づきたい。抱きしめてほしい―― そんな気持ちが自分の中にあることに、驚いてるだけなの」首に腕を回し、顔を隠すように埋めると、そっと耳元で囁いた。「……初めてなの。こんな気持ち」少し息を詰めるような壮一の声が返る。「初めてって……崎本部長は?」「付き合ってなんかないよ。ずっと好きって言ってくれてたけど、どうしても無

  • I Still Love You ーまだ愛してるー   第四十三話

    会社を出て、壮一の車で実家へ向かう途中。車内は温かく、静かで、どこか落ち着かない空気が流れていた。壮一は黙ったまま、日葵の手を弄ぶように優しく指先を触れてくる。今までとは明らかに違う。日葵の中に、得体の知れないドキドキが広がっていく。「……日葵、ドキドキしてる?」「なっ……別にしてません!」つい、嘘をついたことがすぐにバレる。「俺はしてるよ。小さいころとは違う“女”の日葵に」「なっ……!」言葉にならず、パクパクと口を動かすだけの自分が情けない。ちょうど赤信号で車が止まったところで、壮一がそっと手を握りしめ、身を乗り出してくる。「壮……」「もっとこの関係に慣れろよ」妖艶で綺麗すぎる顔が、今、自分だけを見ている――それだけで、鼓動は爆発しそうなほど跳ね上がる。目を見開いたままの自分に、そっと優しいキスが落とされる。そして唇が離れたあと、まっすぐに見つめてくる壮一の瞳に、日葵は息を呑んだ。(もうダメ……嬉しすぎて、苦しい……)信号が青に変わると、壮一は何事もなかったかのように車を走らせる。その横顔を見つめられずに、日葵は視線を窓の外へ向けた。煌びやかな街の灯りが、年の瀬を静かに彩っている。(この年で……本当の恋を知るなんて)心の奥で、静かに大きなため息をついた――それは、戸惑いと幸せが入り混じった音だった。「全員揃うのは何年ぶりだろうな」誠と弘樹の会話で始まったその会は、莉乃の手料理を囲みながら、和やかに進んでいた。久しぶりの年末の年越しはとても賑やかで、壮一も、誠真たちと久しぶりの再会を楽しそうに過ごしていた。その様子を見ているだけで、日葵は胸がいっぱいになるほど幸せだった。「そういえば咲良ちゃん、誠真がいろいろ待たせて不安にさせたんだって?」彼女の咲良とは今日が初対面。隣で控えめに笑う咲良に日葵が声をかけると、彼女は小さく頷いた。「そうですね。初めは何も言ってくれなかったので……」「ほんと、ひどい奴よね。ごめんね」笑いながら話していると、どこか慌てたように誠真がこちらに駆け寄ってきた。「姉貴、変なこと言ってないよな?」普段は余裕たっぷりで軽薄な印象さえある誠真の、焦った表情が珍しくて、日葵はついクスッと笑ってしまう。「こんな誠真、初めて見たかも」「うるさいよ」言い返す誠真がムッとした顔で日葵を見

  • I Still Love You ーまだ愛してるー   第四十二話

    あの日から年末まで、怒涛のように予約や問い合わせが入り、事業部は“嬉しい悲鳴”を上げ続けていた。本来ならもう年末年始の休暇に入っているはずだったが、日葵たちの部署だけは、年の瀬ギリギリまで出勤していた。「本当にお疲れ様。こんな最終日まで出てくれて、感謝しかない」すっかり元気を取り戻した壮一の言葉に、チームのメンバーたちは笑顔で首を振る。それほどの達成感があった。「年始は少し長めに休んでいいから。ゆっくりしてくれ」「はい!」活気に包まれたオフィスで、帰り支度を進める中、日葵はそっと壮一を盗み見る。あの日以来、ろくに会話もできていないまま忙しさに追われ、「気持ちが通じた」と言える確信もない。それにもう一つ、気がかりな存在があった。「長谷川さん、今年は本当にお世話になりました」可愛らしい笑顔を浮かべて柚希が声をかけてくる。日葵も笑顔で返した。「柚希ちゃん、あのね……」「あ、大丈夫ですよ。私は何も言ってません」「え……?」日葵が聞き返すと、柚希はふわりとした微笑みを浮かべた。「私がチーフに抱いていたのは、ただの尊敬です。なので、それ以上は言わなくて大丈夫です」きっとパーティー以降、社内では色々と噂になっていたのだろう。それでも先に自分を気遣うような言葉をくれる柚希に、日葵は心から感謝した。「柚希ちゃん、お疲れさま」静かに言葉を返すと、柚希はぺこりと頭を下げてフロアを後にした。その背中を見送りながら、日葵は小さくため息をつく。(柚希ちゃんの方が大人だな……ありがとう)自分の気持ちがわからず、たくさんの人を傷つけた。それでも譲れない想いがあった。もう、二度と迷いたくない。そう決意しかけたその時、背後に気配を感じて振り返る。「チーフ……」気づけば、フロアには誰もいない。壮一とふたりきりになっていた。ただそれだけの状況に、胸がドキンと跳ねる。何度も一緒に過ごしてきた空間なのに、前とは違う――恋人になった今、日葵の中の感覚はすっかり変わっていた。「終わった?」「……はい」視線を交わすと、壮一の瞳に自分が映っていて、照れくささから思わず目を逸らす。しかし、その視線を逃すまいと、壮一の瞳が日葵を追う。「あの日からゆっくり話せてなかったから。今日は……一緒にいよう」その一言に、日葵の鼓動はさらに早くなる。「うん……」

  • I Still Love You ーまだ愛してるー   第四十一話

    「部長がいるからって諦められるぐらいの気持ちなんでしょ!」叫ぶように言った日葵を、真剣すぎるほどの壮一の瞳が射抜いた。「そんなわけあるか!」声を張り上げた壮一の言葉には、これまでの葛藤が滲んでいた。「お前といるのが苦しくて……でも、会いたくて。そんな気持ち、お前にわかるか? 俺はずっと、自分の強引さで日葵を傷つけてきた。もう二度と……俺の勝手で、お前の幸せを壊すわけにはいかないんだ。だから俺は……」振り絞るように言ったあと、壮一は掴んでいた日葵の腕を離し、自分の手を爪が食い込むほど強く握りしめた。そんな壮一の姿に、もう耐え切れなくなった日葵は、その腕の中に飛び込んだ。一瞬、壮一の腕が反射的に日葵を抱きしめようとするも、どこか躊躇うように、その手は中空に戻る。しかし、それでも日葵は胸のうちを言葉に乗せて、必死に語った。「じゃあ……ずっと捕まえててよ。もう、私が不安にならないように。崎本部長には、ちゃんと謝ってきたの……あんなに素敵で優しい人なのに」子どもの頃のように泣きじゃくる日葵を、壮一は困ったように見つめた。「ひま……俺、本当はこんなに情けない男なんだよ。いつもカッコつけてただけでさ」弱く、探るようなその声に、日葵はキッと睨んだ。「そんなの、もう知ってる!」「それでも、俺がいいのか? お前を、何度も泣かせたのに」「それでも……それでも、そうちゃんがいいって思っちゃったんだから、仕方ないでしょ!」その言葉に、壮一は小さく苦笑する。「……やっぱりバカだな、日葵は」言いながら、そっと視線を逸らす日葵を、ついに壮一の腕が強く抱き寄せる。息が詰まりそうなほどの力に、日葵は思わず胸を叩いた。「ちょっと、そうちゃん……苦しい……」それでも、その腕の温もりが嬉しくて、恥ずかしくて、視線を逸らそうとする日葵の頬を、壮一の指がそっと掬い上げた。「……やばい。嬉しい。もう一生、泣かせない」そう言って、これまでどんな時よりも近い距離で——日葵の唇が優しく塞がれた。「んっ……!」初めてのキスに戸惑いながらも、壮一は迷いなく、その想いを深く刻み込むように日葵を包み込んでいく。「そうちゃん……もう……無理」切れ切れに声を漏らした日葵を、壮一はさらに抱き寄せ、耳元でささやいた。「絶対にもう二度と、お前を泣かせない。……大好きだよ」その言葉に

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status